今日は『きょうだい児』である次女について。
『きょうだい児』
長女が発達障害をもっている。
なので、その妹の次女と末っ子長男は『きょうだい児』ということになる。
きょうだい児とは、病気や障がいのある兄弟姉妹を持つ子どものことを呼びます。
これまでの日本は、障がい者本人への支援は少しずつ充実してきているものの、それを支える家族には支援の手が行き届いていませんでした。しかし昨今、「ケアする人にもケアが必要」という考え方が広がってきたことにより、きょうだい児にも焦点が当たるようになってきました。
きょうだい児は、兄弟姉妹のことを直接的にケアする身体的・心理的負担に加え、その後の人生にも影響する孤独や辛さを抱え込みやすい傾向があるといわれています。
きょうだい児と同様に、家族をケアする役割として近年「ヤングケアラー」※にも関心が高まっており、どちらもケアする側の過重な負担が問題視されています。
※ヤングケアラーとは、「本来は大人がやるべき家事や家族の世話(ケア)を日常的に行っている18歳未満の子ども」のことです。本来子どもができる範囲を超えて、心身に大きな負担がかかっていることが問題視されています。
出典:https://spaceshipearth.jp/siblings/
きょうだい児という言葉を初めて知った日
『きょうだい児』という言葉を初めた知ったのは、次女が生まれた年…
ではなくて、(恥ずかしながら)次女がもうすぐ5歳になるという時期だった。
きっかけはTwitter。
きょうだい児の悲痛な叫び
Twitterのトレンドで『きょうだい児』という言葉が上がっていた。
『きょうだい児』ということが私にとっては非常に関係の深い言葉であることなど知らずについトレンドワードのtweetを覗いた。
主にきょうだい児を養護する内容のものが目につく。
長女に障害があると分かっていて、次女と末っ子長男を生んだ私。
そんな親をせめるのは、大人になったきょうだい児。
tweetには『私(きょうだい児)を生んだ親を恨む』というような内容のものがあった。
自分の娘は大丈夫だと思っていた
障害を持つ人間と一緒に生きて暮らしていくことを強制させられる、きょうだい児。
自分の兄弟や姉妹が障害児かどうかを選ぶことなんてできない。
それは障害児の親も同じ。
でも、親は自分の子供だから我慢できるところもあるし、愛情を持って育てようとも思える。
だけど、きょうだい児はそう思えないのも無理はないと私は思う。
私の子どもたちはまだ幼児だから、まだ何も思わないかもしれないが、、、
大人になったら、きょうだい児として自分を生んだ親を恨む日が来るかもしれないと思ってしまった。
そんなふうに考えていた数日後、Youtubeでこんな動画を見つけた。⇩⇩
4歳になる娘も我慢してる
妻が『一番我慢してるのは次女かもしれない』と言っていたことがある。
私は正直そんなことないだろうと思っていた。
でも、私は障害児である長女に最も時間を割いている。
そうなると、『3人の子どもたちの中で誰が一番我慢しているか』ということは重要でなくて、『次女にも我慢を強いているところは絶対にある』と思えて、次女を見る目を変えないとダメだなと思った。
障害児の長女は入院手術を繰り返してきているし、痛い思いも凄くたくさんしてきている。
ただ、そういう物理的な苦痛を乗り越える事や我慢する事と、「甘えたいけど甘えられない」というような精神的な面で苦労したり我慢する事は違う。
そういう意味では、最も情緒が発達している次女であるからこそ、最も精神的な苦労をしうるんだろう。
嘔吐した次女に強くあたってしまった夜
こんなことを書いているのは、さっき次女に辛く当たってしまったから。
ナッツアレルギーがあった次女に、妻がナッツを食べさせてそれが原因で嘔吐をしてしまった。
もともとこの日は、家事育児を凄く頑張って前倒しで終わらせて、仕事をする時間を確保しようと頑張っていた日だったということもあり、せっかくいつもより前倒しで家事育児を終わらせて仕事をする時間を多く取れると思った矢先のことだったから、すっごくイライラしてしまって嘔吐した次女に強くあたってしまった。
嘔吐してソファも絨毯も悲惨なことになっている部屋の横の部屋で妻が布団に入って寝てるのもイライラに超絶拍車をかけた。
イライラの原因はさておき、父親に強く叱られることを『きょうだい児』である次女はどう感じているのだろか。
幼児だからといって、その次女の気持ちをおざなりにして障害児の親をやってはいけない。
そんなふうに思った夜だった。
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