保育園の卒園式
今日(2024年3月13日)は、発達障害のある長女が通う保育園の卒園式。
長女は発達障害と心疾患の影響で4歳までは保育園に通わせずに、療育施設のみの利用だった。
しかし、3回にも及ぶ心臓の手術が終わり、体調も安定してきた事もあって、5歳から普通の保育園の年長児クラスに入園することができた。
卒園するまでたった1年間の保育園生活だった。
でも、普通の子供達が通う普通の保育園に通った長女にとって、健常児と接するのは初めてのことで、本当に沢山の刺激を受けて大きく成長した1年だった。
私達が住む行政の方々のおかげで保育園に入園することができた。本当にありがたかった。
そして、保育園の先生方。
そして、そして、長女を受け入れてくれたクラスの子どもたち。
人間が好きな長女は、人を嫌いになることはない。人見知りこと多少あるものの基本的にはみんなが好きだが、そんな好きな人達の中でも特に大好きな人にはとびきりの笑顔をみせるし、スキンシップがすごい(笑)から、長女がすごく好意を寄せている人間はすぐに分かる。
そんな「長女が好意を寄せている人間」が沢山いた保育園だった。
卒園式でうたった『キミと僕のラララ』
卒園式では、園児が卒園の歌をうたうのはよくあることだと思う。
長女が通った保育園も例外ではない。
歌った歌は『キミと僕のラララ』。この歌が、、、良かった。
僕の歩く道と 君の歩く道は
繋がっているから
おんなじ道だから
という歌詞が響いた。
長女が来年度から通う小学校は支援学校だから、保育園の友達を同じ小学校ではない。
こんな長女が大好きになった友達と、もう二度と同じ時間を過ごすこともないなんだろうなと思っていた。
だけど、またどっかで長女が大好きな保育園の友達と交わることができるのかな、なんて想像しながらこの曲を元気に歌う園児たちの歌声を聞いていた。
障害のある長女は普通の人とは同じような道を歩くことができないんだろうけど、またどこかで、成長した姿で、この人生のどこかで交わって同じ時間を過ごすときがくるのかな。そうなればいいな、なんて思わせるような歌だった。
よかったら聞いてみてください⇩⇩
悲しいのは…
この卒園式で、少し不憫な思いを感じた。
それは、長女が『保育園で皆に会えるのは今月で終わり』ってことを分かっていないこと。理解できないこと。
今月で皆に会えなくなるって事がわかっていれば、卒園式のときも通園最後の日も、友達や先生との別れを惜しむ事ができる。
でも、長女にとって来月から保育園の友達と会えなくなること、いつも声を掛けてくれる保育園の先生たちにも会いえないこと、保育園で遊べないこと、もう保育園に来れないことを知らない。
明日もまた会えると思っているであろう長女にとっては、突然会えなくなる日がやってくることになる。
最後を噛みしめることができない。突然の別れがやってくる。
最後だっていうことを伝えて上げられないことが悲しい。
子供の卒園式なのに…
私自身も、当然小学校から大学まで卒業式というものを何度も経験してきているけど、特段感傷にひたるようなこともなかった。
でも、娘の保育園の卒業式は自分のそれには感じなかった、別れの悲しさを凄く感じた。
意外だった。
子供よりも大人の方が、悲しい気持ちになるなんて。
それも、やっぱり長女が保育園生活を楽しんでいたからなんだろう。
改めて本当に感謝の気持ちでいっぱいの一年間だなと感じた。
来年からは、支援学校に通う長女。
また、新たな出会いが待っている。
長女にとって素晴らしい出会いが訪れますように。
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